本連載は、筆者の学位取得論文を、実務家の実践的活用のために整理したものです。「不動産の非流動性」という理論的課題に対し、計量分析からの見解を解説します。
1. 現代ポートフォリオ理論(MPT)の達成と不動産の古典的位置づけ
資産運用の理論的基盤として長年にわたり主導的役割を果たしてきたのが、Markowitz (1952) によって提示された現代ポートフォリオ理論(Modern Portfolio Theory: MPT)である。平均・分散モデルに代表されるこのフレームワークは、単一資産の期待リターンと分散(リスク)のみならず、複数資産間の共分散(相関関係)に着目することで、ポートフォリオ全体のリスクを効率的に低減させる効果(分散投資効果)を数理的に証明した。
この枠組みにおいて、不動産は伝統的なペーパーアセット(株式や債券)とは異なるリターン生成プロセスを持つ代替資産(オルタナティブ資産)として位置づけられてきた。インフレーションヘッジ機能や、株式市場のボラティリティに対する低い相関性といった特性は、ポートフォリオの効率的フロンティアを上方へシフトさせる要素として評価され、国内外の機関投資家における政策アセットミックスにも広く採用されるに至っている。
2. 不動産の「非流動性(Illiquidity)」がもたらす理論的・実務的ジレンマ
しかしながら、標準的なMPTが前提とする「摩擦のない完全市場(Frictionless Market)」と、現実の不動産市場との間には極めて大きな乖離が存在する。その中心に位置する概念が「非流動性(Illiquidity)」である。
流動性が「市場価格を著しく歪めることなく、即座に現金化できる属性」と定義されるのに対し、不動産は本質的に強い非流動性を帯びている。この非流動性は単一の変数として処理できるものではなく、市場のミクロストラクチャーに由来する複数の要因が複合的に作用して形成される。
- 市場滞留時間(Time on Market: TOM)と不確実性・機会コスト 不動産の売却にあたっては、情報の非対称性や買主の探索プロセスに起因して、売却決断から実際の資金回収までに相応の「市場滞留時間(TOM)」が発生する。このタイムラグは、売却完了までの間に市場価格が変動する不確実性リスクを投資家に強制すると同時に、回収された資金を新たな投資機会へ速やかに再投資できないことによる「機会コスト」を発生させる。
- 高い取引費用(Transaction Costs)と期間依存性 不動産売買には仲介手数料、税制上の負担、デューデリジェンス費用など巨額の摩擦的コストが伴う。高比率の取引費用は投資家の売買頻度を抑制し、「可能な限り長期に保有しよう」とするインセンティブを生み出す。しかし一方で、不動産には最適な保有期間が存在する(期間依存性)。この保有期間の固定化と柔軟なポートフォリオ再配分との間で、投資家は複雑なトレードオフの選択を迫られる。
- 価格評価の平滑化(Appraisal Smoothing)問題 ポートフォリオ分析において用いられる不動産リターン指数は、頻繁な出来高が存在しないため、鑑定評価(Appraisal)に基づいて算出されることが多い。鑑定評価には過去の評価額への依存(アンカリング)や市場変化に対する時間的遅延が生じやすく、計算上のリターン系列に強い自己相関が包含される。この「平滑化(Smoothing)」現象は、不動産リターンの見かけ上のボラティリティを過小評価させ、他資産との相関関係を不当に低く見せかける歪みを生み出す。
3. 伝統的一期間モデルの限界と過剰配分バイアス
摩擦のない一期間モデルにおいて、上述のような非流動性の影響を考慮せずに標準的な平均・分散最適化をそのまま適用した場合、重大な分析上の欠陥が生じる。
鑑定評価の平滑化によって過小評価されたボラティリティと低い相関係数をそのまま最適化アルゴリズムに入力すると、計算上、不動産へのアロケーション比率が現実的・理論的な妥当性を超えて極端に高く算出されてしまう。これは「過剰配分バイアス(Over-allocation Bias)」と呼ばれ、実務上のポートフォリオ構築において深刻なリスクをもたらす要因となる。非流動性を明示的に取り込まないポートフォリオ選択モデルは、見た目上の効率性は提示するものの、現実の摩擦とリスクに耐えうる配分指針とはなり得ない。
4. 非流動性対応モデルの進化:Cheng et al. (2013) とその限界
こうした一期間平均・分散モデルの限界を克服すべく、Cheng et al. (2013) は非流動性を組み込んだ革新的なポートフォリオ選択モデルを構築した。彼らは、取引費用や市場滞留時間(TOM)、さらには不動産リターンが持つNon-i.i.d.過程(独立同分布に従わない時系列特性)を数理モデル内に定式化し、非流動性が資産配分に及ぼす影響を計量的に示してみせた。この研究は、不動産ポートフォリオ研究における大きなブレイクスルーとして位置づけて良いものである。
しかし、彼らのアプローチにもなお発展の余地が残されている。Cheng et al. (2013) のモデルは先進的であるものの、基本的には「一期間(Single-period)」の分析枠組みの域を出ておらず、現実の投資家が直面する「長期かつ複数期間(Multi-period)」にわたる動的な意思決定プロセスを完全には記述できていない。
さらに、長期投資の枠組みにおいて決定的な役割を果たす「投資家のリスク回避度(Risk Aversion)」の違いが、非流動性資産の最適配分にどのような異動をもたらすのかという視点についても、さらなる理論的・実証的解明が求められている。
5. 長期多段階意思決定への展望
不動産のような非流動性資産をポートフォリオに組み入れる問題の本質は、単一の静的な時点における最適配分を求めることではなく、将来の市場変動や確率的状態変化に対応しながら最適化を図る「動的多段階意思決定(Dynamic Multi-stage Decision Making)」の領域にある。
取引費用や市場滞留時間といった市場の摩擦的要素、不動産リターンの時系列構造、そして投資家のリスク選好の構造を包括的に統合した数理モデルを構築すること。これこそが、非流動性のジレンマを解決し、現代ポートフォリオ理論をより現実的かつ高度な運用フロンティアへと進展させる鍵となる。
- Cheng, P., Lin, Z., & Liu, Y. (2013) Illiquidity, Non-i.i.d. Returns, and Long-Horizon Portfolio Choice.
- Markowitz, H. (1952) Portfolio Selection, Journal of Finance, 7(1), pp. 77–91.
(第2回「不動産リターンが持つNon-i.i.d.過程の時系列的解明」へ続く)